サッカー日本代表の病根
シャープという会社が苦境に立たされ、倒産するかもしれないと囁かれています。
日本病がここにも巣食っているのです。何しろ一つの事案が決まるまで、我社は30も決済印をもらわないとならない、そんな本が出ていたと思います。
役人病といってもいいでしょう。
皆が責任を負うようにして、その実誰も責任を負わない。
いつからこんなんになったのでしょう。
戦国時代なら敗戦の将は首を刈られたり、切腹したりして責任を全うしたはずです。
江戸時代でも一国一城の主は、国替えやおとり潰しになっていたはずです。
明治の時代、役人官僚が幅を利かせるようになってからでしょうか。
私も小役人をしていた時の話です。
「おい長谷川!のそのそ書いてないで早く回せ」と係長から言われました。
役人は報告や何か仕事をすると気に、起案文書を起こさないと始まりません。
係長、課長、時に重要な文書なら部長、市長まで決済を仰ぐこともあります。
係長曰く「お前が書いて俺がはんこを押して、課長に早くはんこを押させれば、責任は課長になるのだ。分かったか?」
へー!今までそのような考え方、10年以上勤めてきたけれど考えたことありませんでした。
はんこ行政といいますけど、とどのつまり責任回避のシステムだったんです。
「役人て!こんなこといつも考えているんだ」初めて知りました。
それまであまり好きでなかった係長が、こいつ案外イイやつだなーと見直しました。
翻って今のサッカー日本代表責任取らないパス回しやってますね。
まさに小役人の仕事みたいなサッカーでしょ。
責任取りたくないのでさしあたってパスしとこ、みたいなね。カッコ良くバックパスしていますよね。
先日の2013キリンチャレンジカップブルガリヤ相手でしたが、つまらないので前半途中で見るのやめちゃいましたけど。
左サイドでバックパス蹴ってたやつ、カッコ良かったですね。きっとおれの蹴ってる姿カッコ良く写ってるだろうと思ってるんだろうな。
ザッケローニが怒ってますけれど、この日本人の小心者の根性理解しているのだろうか?
バックパス横パス減点ではなく、前か斜め前以外はパスを認めず、次回から代表に呼ばなければ良い。
パスを出すには、動いていなければならない、先を読んで周りの環境を頭に入れてなければならない、対戦相手のスピード技術を考え時に修正して行動しなければならない。
ボール来ました、動いてないからパス出すスペース見つからず、周り囲まれてしまいました。
とりあえずバックパスして責任逃れ、一丁!
役人みたいな考え方ですね。
サッカー選手って個人営業主でしょ!自分が責任とって活躍しなけりゃ家族養えないでしょ。解雇されちゃうよ。
民間企業だって、大企業になればなるほど同じようになってしまうのは、日本だけなのだろうか。
どうしたら前へ進み続けられ、本田圭佑みたいなリーダーが抜けてもかつ続けられる、そのような組織にするにはどうしたらよいか。
意識を変えるにはどうしたらよいのか?
一つはトルシエのように組織だけを考え行動させる。世界の頂点には立てないね。
二つ目はオシムのように選手がバックパスなど考える余地無い、常に攻撃を仕掛けるためのみ考え続ける選手にしてしまう。
三つ目は単に代表招集かけるだけでなく、ひとりひとりがその時に雇用契約をかければ良い。試合ごとの評価、貢献度に応じた報酬とペナルティーによる減額、海外移籍の野望があればその支援など。
まだまだ未成熟なJリーグ選手というのは、規制をかけていかないと一人たちできない。
攻めよりとりあえず目先は失敗しない守りに入っていこうという意識が強すぎる。
結局海外移籍の野望がなくても、クラブへ変えればそこそこの地位が与えられる、そのような現状を打破しなければ、今回のコンフェデレーションズカップも、チンチンに負けてしまう。
古の中田英寿たったひとりそれ以外は、チームにはプロ言えるサッカー選手がいない。
そんな時代にまた戻ってしまう気がしてしまう。
根性ある選手を基準に選ぶべきだね。
セルジオ越後と言う評論家が、昔からまだ選手が世界レベル以前の時から、無理と思える要求をして辛口評論家としてされていました。
いまある程度海外組が多くなってもこの体たらく、彼が昔から言っていたことがそれは世界標準で、世界レベルで戦える日本サッカーのことを考えていたと言うのが、いま分かった気がしています。
ここで思い切って年齢は無視して、根性だけなら世界標準の選手を代表に送り込もうではありませんか。
昔は根性だけだった大久保嘉人、今なら成熟してなりを潜めてしまったが、まだまだ秘めた闘志は感じられ、何かスマートさが出てきたように見えます。
大人の選手を入れるべきでしょ。
ドゥンガみたいに試合中でも怒鳴りまくって指令を出し、叱咤激励するバックが必要です。
前門の虎(本田圭佑)後門の狼(マルクスか中沢)、その外の選手が気を抜けないようにしなくちゃいけません。
昔清水市のサッカー文化の研究に行ったとき、初めて見聞きした体験は今も忘れません。
清水のサッカーを立ち上げたと言われる、故堀田哲爾氏に面会インタビューをして、サッカーがいかに世界的なスポーツであり、各国にの文化に根差しているスポーツであるかを教えてもらいました。
沢登選手がまだ高校生の時でしたから、もう30年は経過いるでしょうか。
でもそこでの指導内容が今の代表にも当て嵌まってしまうのが不思議です。
「早く蹴ろ!そこだ、もっと早く!」とピッチでのアドバイスでした。
「サッカーの監督はね、人類学者であり哲学者であり語学者でありなどなど」と上げられていました。
いまの日本選手の現状は、まさに日本病から治りきれない最後の日本人を見ているようです。
またサッカー監督は本当に大変な職業であり、その辺の元選手を呼んできても務まる職ではないことが本当に分かりますね。