U23の快進撃、特に永井選手の活躍に思う その1
オリンピック男子サッカー代表永井健祐選手の活躍が目覚しい。
これに伴って海外のサッカー関係者が注目したのが、彼の母校福岡大学のサッカー部の教育システムです。
外国では大学のサッカー部には、専属のコーチが内容なのです。
海外ではほとんどが地元のサッカークラブに所属するので、日本のような学校教育の中で習うサッカーは、新鮮な驚きがあるようなのです。
このことと最近なくなられた、清水市のサッカー文化の礎を築かれた堀田哲爾さんのことを思い、日本のサッカーの発展を改めて考えました。
私がサッカーに注目しこれを文化として捉えられるきっかけになったのは、当時勤めていた府中市役所職員の自己啓発きっかけでした。
職員の活性化を図るために考えられたのがこの自己啓発でした。
出張や文献書籍の費用を市が負担し、応募した職員が市の発展のためにどのようなものでも良いので、研究調査をするというものでした。
最初は応募者が殺到し、選考が大変だったようです。
私は冷ややかな目で見ていました。
なぜかって?それはアイデア目的は良いのですが、おそらく参加する者の魂胆・役人根性が見え見えだったからです。
纏め上げた結果を持って、「どうだ!俺や私はこんなにすごいんだ、見てくれ」という魂胆です。あわよくば出世の足しにでもというものも有ったでしょう。
役人根性は調査研究は二の次で、帰ってから文書に纏め上げるのが目的なのです。
どっさり持って帰る文書や資料があるもの、文化センター、芸術センターや美術館の建設など、コンクリート建設に関する報告しかされませんでした。
やがて出世にも関係しないし誰も評価してくれないので、とうとう応募者がなくなりました。
そろそろ担当者が私のところにくるだろうと思っていると、案の定「やってくれないか、お願いだ」と来ました。
文化がテーマなのに文化を育む入れ物ばかりの報告ばかりだったので、ここはひとつテーマをと3つほど挙げて、担当者に選んでもらうことにしました。
内心一番選んでほしくなかったのがサッカー文化というテーマでしたが、「これがいいや」とされてしまいました。
さて文献をと図書館に行ったのはいいが、文化としてスポーツを捉えたようなものは無く、サッカーを文化とするものは皆無でした。
そこで休暇をとって国会図書館まで足を運ぶ羽目になったのでした。
資料として有ったのは「サッカーマガジン」を始めとする専門雑誌でした。
それらを読み込んでいくと分かってきたのが、日本のサッカーの歴史は東大などの学校スポーツが発祥であるということでした。
やがて発展し高校選手権などが始まると、福岡や京都、清水、甲府、藤枝、浦和などのサッカー強豪校が出る地域が出現してきたのです。
学校スポーツがなんとなく外国のスポーツセンター中心よりなんとなく後進性をイメージしていましたが、今回の永井選手の活躍で外国からこのことが評価されると、改めて日本のサッカーの歴史も意味ある発展であったと思えるのです。
中村俊介、中田英寿、本田圭祐などちょっと名前を出しただけでも、彼らは高校サッカーから育ってきた選手です。
さて清水市を訪れると決め電話を入れ堀田哲爾産に聞きました。「サッカー文化に関する文献ありますか?」「そんなもんあるわけ無いじゃないか」馬鹿な公務員丸出しの質問して、恥をかいた思い出があります。役人根性は染み付いていたんですね。