リウマチ相談室のブログ~手のひら先生の独り言~

手のひら先生が鍼治療を通して思う、つれづれなるよしなしごとをお話します

ケースワーカーはつらいよ その1

 どのような職場でも会社でも、職場の上下は自然についているものなのでしょう。

私は市役所を3年以内に辞めようと思っていたので、どの職場に配置されても同じだと思っていました。

ところが同期やあとから入ってきた新人などは、「企画に行きたい。清掃課と福祉事務所にはいきたくない。」と言っています。

「企画って?なに」と思ったくらいなので、何も知らなかったのです。

小学生のころポスターにドサ周りの歌手や劇団に、何々企画とか何々興業とあったので、そんなんかなと思っていました。

それでも清掃課といわれるとチョットいやだったかな。

3年もいれば体調が良くなって、脱サラしようと思ったので地方公務員だろうと国家公務員だろうと、どちらも同じ意味しかありませんでした。

国家公務員も受かったも同然だったのですが、面接の雰囲気でどうやら答えによっては受かりそうだったので、落ちるように答えたのでした。

同じゼミ生が東京都の試験でも上位で受かったので、いわゆる上級官庁も私の中では同じ価値しかありません。

福祉事務所を希望して移ったのですが、老人の係りではなくケースワーカーに配属されました。

最初の3ヶ月は少々戸惑いました。

何しろ中にむかし大きな事件を起こしたことがあり、今も病気が季節にかかわらず起こす者、シンナー中毒の若者、アルチュー常習者と、担当地域の中でももっとも面白い方たちがいる担当になったのです。

それぞれ生い立ちや成り立ちを知れば同情すべきところは多々あり、また精神保健法や病院、保健所、東京都の不備怠慢など、様々な要素が入り混じって問題が山積でした。

福祉事務所というところは、市役所の中でも異空間である。長年他の部署にいたので分からなかったのですが、実際所属してみると実感しました。

「事実は小説より奇なり」と言っていたのは、名アナウンサー高橋圭三さんでしたが、事実を人生に置き換えればまさにそのとおりでした。

でも様々な経験が出来るわけで、それはそれで楽しかったです。


ところが他市町村の福祉事務所員と接すると、「5年ほどお勤めに行ってきます。」と言って、まるで親分の身代わりに刑務所に行く組員のような、言葉を吐いて異動することが多いようなのです。

ちなみに私が退職したあとの異動で、失踪した者1名、腹痛で出勤しなくなったもの1名、病欠1名出たと聞いて、笑ってしまいました。

市役所ってのんびりしていて楽な職場と思ったら、とんでもない怖いところに異動になってしまった。そう勘違いしたお坊ちゃん育ちが多くいたのでしょう。


今のように働きたくても出来ない、そのような状況だったので、受給者の多くは若年層は精神疾患を抱えたものが多く、母子家庭、老年寡婦がほとんどでした。

ただ時々新聞などに、「包丁を持った男が福祉事務所で暴れる」なんて記事出ていたので、それを見て腰を抜かしたのかも知れません。

まあ心優しい方たちが多いのか、腰抜けかどちらかだったのでしょう。

最近は有名大学出身者も市役所に入ってくる時代、ケースワーカーになったりすること考えているのでしょうか。心構えどうでしょうか?

でもここにいると一気に成長できますこと請け合いです。