リウマチ相談室のブログ~手のひら先生の独り言~

手のひら先生が鍼治療を通して思う、つれづれなるよしなしごとをお話します

秋葉原の茂手木さん

私のホームページに「手のひら先生の独り言」と言うページがあります。

グダグダしたを書いていますが、その中に表記の「秋葉原の茂手木」さんががあります。

茂手木さんは今では大きくなった組み合わせタイプのステレオ、それも一時代前の真空管アンプスペシャリストです。

私がはじめてお会いしたのは、もう40年前のことなのです。まだ秋葉原には「やっちゃば」といわれる青果市場がありました。

まだ大学2年生でその頃はアルバイトも容易には見つからないときでした。たまたまパイオニアに派遣店員の仕事が見つかり、派遣先が「木村ムセン」と言うコンポーネントステレオ販売で勢いのあるお店でした。

茂手木さんはその頃25歳だったでしょうが、もう試聴室長としてお1人でバリバリ売り上げていました。


昔は大型電気店は今のようにはなく、ボーナス時には皆秋葉原に来たものでした。

木村ムセンは3箇所の販売店と1箇所の倉庫兼事務所がありました。FM東京でも広告が流されていて、まさに飛ぶ鳥を落とすような勢いのお店でした。

1ヶ月間の経験でしたが、まさに私の青春でありその後の考え方生きかたに、大きな影響を得た経験でした。

たった3箇所合計しても10坪あまりの面積の店で、その頃1日400万の売り上げがあったことがあります。秋葉原中ひとひとひとで、通路は歩く隙間もないほどでさながら朝のラッシュアワーの電車状態でした。
初任給がまだ5万円にいかない時でしたので、初任給比較なら今の2千万円も10人ほどで売ったのでした。すさまじい熱気の時代でしたね。


このお店で学んだのは「仕入れの仕組み」「利益の出し方」であり、その頃その規模で行なって驚いたのが「コンサルタントを招いて、販売のシュミレーション接遇」を月1回ほどのペースで行なっていたことです。「趣味の本の裏の読み方」「物を売る難しさ」などや「働く辛さも」味わいました。

その行き帰りに読んだマキアベリの「君主論」は、その後の生きかた見方に大いに参考になりました。

コンポーネントステレオのブームはほんの3年ほどで去ってしまいました。ミニコンポが流行りはじめたからです。

茂手木さんもどこかに移られお会いすることもなく、30年ほど過ぎた5年ほど前にヒョッコリ出会って交流再開しました。

ところがご存知の様に秋葉原の電気街は、いまや大型電気店の草刈場となり老舗もその傘下に入りました。看板はそのままでもビックカメラや中国系のファンドが買ったラオックスなどになってしまいました。ヨドバシカメラも人の流れを変えるまでになってしまいました。

この波に飲まれてしまった1人が茂手木さんでした。サトームセンからヤマダ電機にに吸収され、本来の職場が奪われてしまったのです。職場異動で下痢が始まり、これはストレスと感じたところから茂手木さんの一大転機が起こりました。

私の作った「秋葉原の茂手木さん」のページのように戻ってきたらとアドバイスを受け、1昨年の暮れに小さな倉庫を改造して、再出発をしました。

ヨドバシカメラの近く、裏通りでした。でも真空管アンプのカリスマであり、ファンが多いのでやがておおくの「オヤジ」が来るようになりました。

私もそうですが、団塊世代のあこがれはレコードでありアナログへの郷愁があります。また今風に言えば「オタク」の世界にも通じるものがあります。

それから早2年近く、このたびめでたく表通りに引っ越しました。

先日訪れてみました。前の3から4倍にもなる広さの店舗です。明るくなり茂手木さんの顔も自信がみなぎって、溌剌としていました。


私が茂手木さんの歩みを見ながら思うのは、人間の職業選択のことです。

まず好きな道を進むことはとても難しい現代です。でもどうでしょうか?それはどうでしょうか。これこれの学校を出て学んだんだから、会社に入ってその道を進みたいと願うのは自然なことでしょう。でもそうならない場合、就職先を変えて自分の進みたい方向に舵を切ればよいのではないでしょうか

福利厚生がないから中小企業を敬遠するのでしょうが、いまや大企業も保養所を手放す時代です。

自分の生きる道を中心に考えれば、自ずと道は見えるはずです。

さらに自分の興味の方向に進み、特長を見極めてその上他人とは差別化できるだけの実力を備えられるなら、人生何度でも立ち上がれます。また人は支持してくれると思いました。

ここで思い出されるのは、私に教えてくれた患者さんで元大学教授の言葉です。

私が患者が増えないと嘆いている時にくれた言葉です。
「君、しっかりとした技術があれば、世間はけっして放っておかないよ」

いまは情報社会です。

深い知識、しっかりとした技術、他と差別化できるもの特化した技術など、これがあれば一生働け充実した人生が送れそうです。

もっと深く研究し、他と差別化できる鍼灸の道を模索しねばと、書きながら反省です。