BSの野球解説者武田一浩について
この前ふと出てきたブログで、武田一浩の大リーグ解説が良く分からないと言う批判が載っていました。
我が母校明治大学の先輩として、と言っても野球部にいたわけではいたわけではありませんが、一言謝りましょう。ゴメンナサイ!
彼は努力の人なのです。付属高校から本来ならそのまま大学野球部に入れるのですが、残念ながら落ちてしまい1浪して一般入試で入った努力家でもあります。
入学してからは明大のエースとして活躍しました。
卒業してプロになる時、当時中日の星野監督が指名するかなと見ていましたが、入団は出来ませんでした。
明治大学野球部は、人間関係が濃いのでこれは意外でした。
その当時監督は島岡さんでした。彼は野球部の監督人事がもめたとき、時の総長が「ゴタゴタもめるならあいつにやらせろ」と言って指名したのが、出入りのスポーツ運動具店をしていた応援団長出身の彼だったと聞いています。
だから中々点が入らないと作戦ではなく、「何とかせい」と言うだけでしたが、それで得点するのだと同級生が言っていました。
野球部の選手からマネージャー全員が、4年生まで彼について行ったのは全員就職をさせてくれたからです。
100名以上いたメンバーを全員就職させると言うのは、当時でも大変で我々の中でも話題になっていました。
プロ野球は知らないのですが、ノンプロなどから引き合いがあると、その選手に何人か付けて就職させるとかです。
でも企業もスポーツ選手はグタグタ文句を言わずに働くので、良く採用されていたみたいです。
今の状況ではどうでしょうか。でも所詮社会に出れば体力勝負、学歴よりも優るかも知れません。
さて彼は日本ハムファイターズに入団し、ダイエイホークス、中日ドラゴンズ、読売ジャイアンツと渡り歩き、2002年に引退したのです。
明治大学は一般に六大学と言われます。と言っても頭でなく野球の方ですが、と学生時代同級生は言っていました。私もそうでした。
前者は仕事が終わって通えるのがそこだけ、明治大学は受けて受かったのがそこだけと言う理由で、仕方なく決まってしまったのです。
しかし入ってみると、意外と学生思いの良い大学でした。
私が入学したころは学生運動が盛んでした。特に入学1年か2年前に学費値上げで大騒ぎでした。
入学した時経済学教授が言っていました。
学校も理工学部なんか作らなければ学費を値上げせずに、紛争も起こらなかったのにと嘆いていました。
「今度工事現場に行ってらっしゃい。そこで現場監督にどこの大学出身か聞いてみなさい。ほとんど明治大学と答えるから。」
へーそうなのか。土地代などで必要になって学費値上げか?
でも世田谷区に2年生まで通う泉校舎がありますが、裏手に広い運動場があります。これは生徒のためにと学校が買い増ししたものだそうです。
まあ今となって考えると、ビートたけしも星野仙一も現場監督と言えば現場監督で、納得できるけれどあの言葉は逆切れしていたんだなと思う。
他の学校の生徒と様々なところで交流すると、わが校が生徒のことを思っていることがありました。それが教室の多さです。
図書館に行くまでもなく、しかしちょっと勉強の場が欲しい時、結構空き教室があったのです。六大学でもH大の生徒は、そのようなスペースが全くないと嘆いていました。
奨学金の制度もある程度簡単に借りられましたし、学校の雰囲気も良かったんじゃないでしょうか。
試験問題も変なひっかけ問題はないし、簡単ですし滑り止めには良い大学でした。
でもいま人気大学になったらしく、喜ばしい限りです。
ところでそのような大学をでた武田君の解説が、分かりにくい納得できましたでしょうか。と言うのは冗談で、彼の解説はぼそぼそつぶやくような声を除けば、かなり個性的で面白い解説になっています。
ではどこが良いのか、次回にお話いたしましょう。