就職活動の記憶
もう40年も前になってしまいましたが、今の季節は就職活動いわゆる就活を始めた時期でした。当時は大学3年生でした。
今は就職氷河期とか言われていますが、当時を思い出せば就職は学生にとって、昔も一大事業でした。
求人は多かったかもしれませんが、いつの時代でも人気企業の門戸は狭いものです。
思い出しているのですがわが明治大学の同級生は、週刊現代に載っていたように身の程を知っていたようです。
私は全く興味がなかったのですが、同級生は商社を希望していたものが多かったようです。
でも端から物産とか商事と言われる商社には挑戦しませんでした。
学閥で固められていて就職しても思うような仕事が出来そうにないし、出世も見込めないからじゃないですか。
最近岩波書店が縁故採用本当は就職希望者を、何らか社と関係のある学生の中から選びたいと発表し、物議をかもしています。
でもこれなんぞ可愛いもので昔はもっと露骨でいやらしい、面接や就職説明会が行われていました。
「親父がさあー是非受けろって言ったものだから行ったんだけど、今から説明会を行いますが東大や国立大学、早稲田慶應の学生は右のドアから、そのほかの学校は左のドアから入ってください。」と言われたんで怒って帰ってきちゃったよ。
彼はお父さんのたっての希望で、当時の電電公社か東京電力を受けに行ったら、このような取り扱いを受けたと言っていました。
確かそのあとおもちゃが好きだったので、希望の「バンダイ」に入社したはずです。いまは有名ですがその時「バンダイ?」って思ったものでした。
同級生が一緒に行ってくれというので、全日空の会社説明会に行きました。
大会議室にあふれかえるほどの学生がいましたね。
ほどなく小太りメガネの若い職員が横柄にこう言いました。「皆さん!この中で文化系の学生、国文科や英文科などの学生さんはお帰りください!取りませんから」
付き添いだったんですが頭にきましたね!
今の全日空ANAでは考えられない出来事でしょうが。
当時はそんなものが多かったようです。
面接で英文で書かれた用紙を渡され「それ訳して!」と言われ、すごすご帰ってきた同級生がいました。
確か西友を受験したときのことでした。
もう最初からふるい落とす手段だったのでしょう。
そのぐらい訳せよと思ったものですが彼には難しかったのでしょう。
西友はその頃数十人の採用に1000人以上の受験者がきたので、手っ取り早くふるい落としたのでしょう。
門前払いしちゃならないし、大量の受験者を手っ取り早くふるい落とす方法は、今も昔もおんなじじゃないでしょうか。
私ですか?
まだ何をやりたいという明確な目標がなかったのと体調がすぐれなかったので、民間と公務員を目標にしました。
いまは地方公務員でさえ難しいと言いますが、勉強しないからじゃないと思う。
地方公共団体の選別方法にはいろいろあるかもしれないが、第一段階のテストは成績次第なわけです。
この段階は出来るか出来ないかだけなので、何ら恣意的なものははいらないので、ここを突破できる力がなければ、最初から受けなければ良いのです。
いろいろ言われるのは、そのあとの選別のことが噂に上ることがおいいのでしょう。
いわゆるコネ、コネクションですね。
でもこれも今のような経済状況で受験者が殺到すると、並みのコネは効かないそうです。
甥っ子は贔屓目に見ても勉強はできるほどじゃないのですが、それでも前の会社から今の公共団体に入るまでは、彼なりに2年ほど毎土日は図書館通いして勉強していたそうです。
つまり民間より公共団体の方が、日頃の勉強努力が効果を挙げると言えるのではないでしょうか。
大学の評価で最初から選別される民間より、入口ではフェアーということではないでしょうか。
なぜやめて鍼灸師になったかって?
公務員は3年で辞めようと思っていたのが長引いただけなのですよ。
辞めたあと近くのばあさんが「あいつは出世できなかったからやめたんだ」と陰口を言っていたそうですが、山あり谷ありですが今の仕事のほうが公務員よりはるかに充実しています。
定年になったら公務員てなんにも取り柄ないのよ。
ほんのひとにぎりの人は資格を取ったり特技を磨いていたりするのですが、それが定年後に一般社会の中で輝けるかというと可能性はほとんどありません。
実務ができなければ今の世の中商品価値はないのです。
だから天下りが廃れないのですね。
実は大きな声では言えないのですが、国家公務員の端くれになっていたかもしれないのです。
いまはなくなってしまった税務職員でいわゆる脱税専門官でした。
2〜3年現場職を経験したあと本庁に戻り、2年ほど法律を学んで税務署長になると言う制度でした。
労働組合などともめた制度だったらしく、今はない制度でした。
おそらくこのような専攻学生を欲しかったのでしょう。
午前の筆記が終了しパスすると午後の面接に臨んだと思いました。
入室すると面接官の目が輝いているのが分かりました。
「なんだかやばいな!」
椅子から身を乗り出してこう質問されました。「君の卒論テーマは原価償却論だよね。減価償却論にはいろいろあるが、税務の立場からの減価償却論もあるが知っていますか?」
「もちろんです」
「税務から見た減価償却論には興味があるか?」
雰囲気からこりゃ「興味がある」と答えたら合格してしまう。こまったな受かっちゃうよ!
「興味ありません」
面接官はがっかりしたような顔つきでした。
帰り道これで不合格だなとおもいました。でもこの頃は市役所に行こうと決めていたので、もし合格したとすると、断るのが面倒だったので「これで良いか」としました。
今の学生は確かに門前払いの会社が多く、受験にたどり着くまでが大変と聞きます。
しかし今の自分の評価をしその評価と希望を付き合わせ、闇雲に受験するのではなく幾つかクラス分けし、受験スケジュールを立てたらと思う。
ソニーだったかで普段着の姿を見たいと言っているのに、全員がリクルートスーツを着てきたそうです。
ライバルと差をつけなきゃならない場で、同じ土俵で戦ってどうするのと思う。
有名大学の学生と自分が争わなきゃならないなら、自分の個性特性をさらけ出して評価してもらわないと勝負になりません。
そのため例えば合格したい会社が2社あったら、1社の面接に臨む時思い切ってこちらは落ちても構わないから、素の自分をさらけ出して見てはどうだろう。
勝負するんですよ。
そのような心で臨んだらリラックスし、意外と好感を持たれるかもしれないと思う。
服装も普段着のなかからこざっぱりしたものを選べば、それが自分の本来の形を見てもらえるし差別化になるはず。
みんなAOKIやコナカのリクルートスーツを着ていたんじゃ、履歴書と見目形でしか判断されなくなりますよ。
面接官だってそんなプロ中のプロなんてそんなにいるわけじゃなく、それを証拠に上場企業の社長のうち東大卒は数えるしかいないでしょ。
ハーバードビジネスククール卒も同じようなもので、極端なことをいえば会社にとって最も貢献する人材としての社長になるのは、学歴や試験の点数では判断できないのです。
じゃあ面接される方も面接する方も相手がよくわからない点では、同じ土俵に上がっているわけなので、受験者側の方で情報をより多く発信していかなければならない。
おんなじような服装、おんなじような答えや答え方、同じような表情、それではあなたは戦えない。
プロ野球では捨てゲームがあるように、一つ捨て面接捨て会社を作って、精いっぱい好きなこと好きな話を面接で話してみるというのはいかがだろうか。
人生なんて先は分からない。今や大会社だって倒産する時代だし、優良企業だった東電の例もあるし、ここは一つマニュアルを捨てて勝負してみてはと言う提案でした。