リウマチ相談室のブログ~手のひら先生の独り言~

手のひら先生が鍼治療を通して思う、つれづれなるよしなしごとをお話します

ティアックとシャープ

 私が秋葉原にアルバイトに行ったのは、大学生の2年生の時でした。

ロックアウトで何もすることがなく、見つけたアルバイトはパイオニアの今なら派遣店員と呼ぶものでした。

その頃秋葉原ではコンポーネント・ステレオ全盛期の時代でした。

中でも派遣されたのはキムラムセンという店で、FMラジオでも宣伝するぐらい勢いがありました。

その店で出会ったのが、真空管アンプのカリスマと言われる、オーディオのもてぎを運営されている茂木邦宏さんでした。

私が20歳の時茂木さんは25歳くらいで、既に視聴室長でした。

そこにはマニアからプロの演奏家まで来られ、多士済々の風情でした。

そこで知ったのがオープンリール・テープレコーダーのトップクラスに位置していた、ティアックという会社でした。

AKAIとか電音とかは、マニアの高嶺の花だったようです。

初任給が5万円届くか届かない時代に、安くても10万を超える機械は、眺めるだけのものだったようです。

電音はその頃は放送用のプロ機器専用で、民間には販売していませんでした。

ですから棚の上に飾ってあった電音製の、小汚い本体のみで10万円の値札には、信じられない気持ちで眺めていました。

ケースやアームなどをセットすれば、ゆうに20万円近くなります。

それでもマニアになると目の輝きが違うようです。

あこがれの人を見るようにしてました。

就職で何社か受け、その一つにティアックがありました。

内定を受け夏の1ヶ月研修に行くと、技術系は早稲田の理工や日大の理工学部出身者が多く驚きました。

みんなオーディオマニアでした。

早稲田の理工学部の学生は「教授に推薦状を書いてもらおうとしたら、それなんの会社?大丈夫」と言われたそうです。

その頃やっと株式市場第2部に上がり、やがて1部上場の手前の会社でした。

株価は400円を上回る程度、やがては800円に上昇していきました。

それが数日前アメリカの会社に買収されるニュースが流れました。

時代の流れに乗れなかった結果でした。

コンポーネント・ステレオのブームはほんの4、5年で去り、カセットとミニコンポの時代に突入していったのです。

また一時IBMと関係のあった記憶装置も、ハードディスクにとって代わられました。

オープンリールはハンドリングが優しい、カセットになりました。

音の品質の差より、安価で扱いやすい商品に世の中は流れていったのでした。

流れに乗り遅れたら、竿をさそうにも術がなく、今に至るのでしょう。

シャープはその頃秋葉原にはありませんでした。

シャープが一流品扱いされたのは、液晶テレビが認められたからです。

関東では二流か三流の扱いです。

ちなみにその頃の東芝も三洋製品も、扱いは二流でした。

裏の方の問屋では「お客さんうちには置いてないよ!だって買いに来るのは、松下、日立、三菱だけなんだから」と言われたこともある時代でした。

家電量販店で勧められた洗濯機は、シャープなら5割引でした。

品質は良くてもブランド力は全くなかったのです。

それが液晶で飛躍的に伸び、それだけに頼ってしまったのが、今日の結果なのでしょう。


年末か年初か忘れましたが、関西の経済化界のトップのインタービューで、「パナソニックとシャープはどうでしょうか?」という質問に対し、彼が「パナソニックはどうにかなるでしょうが、シャープは難しい」と正直に答えたのには驚きました。

それとともに本当に再建は難しい段階に入っていたのだと知りました。

その後本の見出しに「我社では物事が決まるまで、30個の決済印が必要」とあったので、大企業病の成れの果てとも思いました。

大型家電でも今やシャープではなく、パナソニックの液晶をすすめる時代で、この分野でもはやブランド価値はなくなったと言えるでしょうね。

秋葉原の街は家電街として消えない街ですが、中身は常に激変し続ける街です。

タモリの「ブラタモリ」で紹介されていましたが、明治大正時代は東北からの燃料や米の集積地でした。

それが戦後進駐軍の廃棄物の、真空管などを拾って出来た電気街から始まり、やがてテレビ全盛時代に突入しました。

次に来たのがオーディオで、コンポーネント・ステレオ時代でした。

それもすぐに終わり、次はパソコン自体に突入しました。

その後の目玉が無くなって数年、ブームがないまま家電量販店の時代になり、今や秋葉の名店でさえこれらの傘下に入ってしまう時代です。

ところでわが町には伊勢丹があり、そこには「銀座木村屋」という老舗のパン屋が出店しています。

創業100年以上あるのでしょうが、感心するのは毎月新製品なり今月限定の目玉があるのです。

そのような老舗でも常に努力を怠り無くしているのです。

企業はゴーイングコンサーンを前提にしていると習いましたが、常に変わり続けなければ生き残っていないのです。

大企業病公務員病、昔の大英帝国の労働者のようになっていては、企業も国民の本当に生き残れない時代なのですね。

今こそ組織論や企業論が活発になって良い時代かもしれません。