NHKスペシャル「アイスマン〜5000年前の男は語る」を見て
アイスマンが発見されたのは、もう20年前にもなっているのですね。
光陰矢の如し!
その中でオーストリアの医者が、鍼治療をやってました。
刺針は柔らかでしたが、見せるほどの技術はなく、やはり日本人の鍼灸師の弾入が美しいと思いました。
問題はそのようなことではなく、5000年前のヨーロッパに、どうもツボが認識されていて、鍼治療が行われていたのではないかということでした。
う〜ん?本当かよ!
思い出されるのは手元にある「中国医学思想史」の中の、古代中国の漢方医特に外科技術を行っていた医師のことです。
黄帝内経は内科の原典であり、外経があったはずと言われていますが、未だその存在は確認されていません。
上記の本を読むと、中国で活躍し手術も良くした伝説の医師は、実は外から来た外国人、トルコあたりの人間ではないかということでした。
今は東洋医学は中国を発祥の地としていますが、それ以前の文献がないためそうされているわけであり、もっと他にその源流があるかもわからないのです。
例えば孫悟空で有名な三蔵法師は、インドにお経を求めて長く過酷な旅をあえてしたわけです。
なぜなら仏教の源流がインドにあったからとも言えますが、インドの方が中国より文明が発達していたからとも言えます。
そしてもしそのようなことがあるとしたら、中国三千年より前に東洋医学の原点があったとしても不思議ではないと思います。
アーユルベーダなどは漢方医学と同じような考え方をしています。
以前NHKテレビでチベットの鍼灸を紹介していましたが、その技法はプリミティブで最初の鍼はこうであったのかと思い起こさせたものでした。
このあたりに鍼の源流があり、また中国の外科をしていたものがトルコ人であったと仮定すれば、この人たちがヨーロッパまで行って、鍼治療をしていたと思うこともできます。
今思うほどインドあたりとヨーロッパはそれほど遠いところではなかったのかもしれません。
ヨーロッパ人が鍼治療発明していたということは、私にはあまり考えられないことです。
もし普及していたなら当然エジプト文明に記述があるはずで、いまだそのようなことは聞いたことがない。
とすれば鍼治療がひろまっていたとしても、それを記述できるほどの理解はしていなかった、またはエジプトまでは広まっていなかったということでしょう。
ただ中国の古典では、お灸は北から、漢方薬は南から、東から鍼、西からは?石(へんせき)と行って石鍼、中央は導引あんきょうが発明されたと書かれています。
西なら西洋ですが、それは今のような鍼ではなく石鍼であったとうことです。
石の矢じりのように先を尖らせて、ツボに当たるようなところを刺激したということです。
これならあまり器用でない西洋人も行えたかもと考えます。
しかしこの番組で鍼やツボというものが、東洋の一地域のものでなくもっとグローバルなものであったとすれば、それはそれで痛快なことです。