リウマチ相談室のブログ~手のひら先生の独り言~

手のひら先生が鍼治療を通して思う、つれづれなるよしなしごとをお話します

骨折マッサージ 番外

 サンデー毎日の10月14日号で、整骨院接骨院の問題が取り上げられていました。

鍼灸学校の時代(23年も前になりますが)マッサージ担当の先生が医師会長の武見太郎が「君たちみたいな業界は、保険制度を使ってはダメだ。医師の世界みたいになるからだ。」と言ったそうです。

つまり新卒の医師も何十年もの経験を積んだ医師も、一律の診察料金だからです。今も同じですが。

マスコミに取り上げられるような医師も、新卒の医師も同じ手術代、診察代ということでしょう。

ここ東京都が三多摩郡の時は整骨院がまだ「ほねつぎ」と言われていました。

医者も少なかったので、村民町民に頼られる存在であったようです。

患者さんに聞いた話ですが、物置から落ちた父親を小金井市から目白まで、近所の人が戸板に載せみんなで担いで行ったそうです。2、30キロあるでしょうか。

ところが帰りには歩いて帰ってきたそうです。

そのような骨接ぎの先生がいたんですね。

今でも府中市では清水整骨院の、先代の先生の話は評判をよく聞きます。

でもその頃は保険制度はなかったので、個々人が特別な技術を持っていたようです。

特に有名なのは、読売巨人軍専属の「吉田接骨院」の先生でした。

王監督の現役時代、デッドボールで胸骨を骨折し連続試合出場が危ぶまれたのを、たった一本のテープで固定し翌日出場させたという、今では伝説のような話があります。

保険制度はなぜ採用されたのか、然とはわかりませんがそのゆえ、今はどの整骨院も同じような治療法になっているのではと思います。


わが町東京都府中市には「紅葉ガ丘整骨院」があります。

興味もあり二回ほど治療を受けました。

その時には整骨院ではなく、整体院になっていました。

もちろん保険をやめ、痛みから患者を解放させる整体院に業態をかえ、この方法を全国の整骨院に広めようと、情報発信を行っていました。

彼はもう保険制度の元の整骨院に未来はないと、見限って転換したそうです。

しかし確実に治せる治療を始めたら、かえって売上が上がったそうです。

歯科医師も多くなり、弁護士も増えて、今やこれといった資格で将来も安泰というようなものはない時代になってきたと言えます。

よく知れば老舗のラーメン店でさえその生き残りの秘訣を聞けば、日々マーケティングリサーチは欠かさないようです。

身近の刃物屋のおやじとこのことを話していたら、うちでもじいさんの時代と扱っている商品はガララット変わったなと言っていました。

日々手探りの生き残りのサバイバルゲーム時代になってきたのでしょう。

猫も杓子も公務員や議員を目指すような時代になってきたのでしょうかね。

それにしても鍼灸師は昔も今もパットしないものですが、わが鍼灸院の未来はいかに。