リウマチ相談室のブログ~手のひら先生の独り言~

手のひら先生が鍼治療を通して思う、つれづれなるよしなしごとをお話します

東洋医学的内臓の意味 五臓観を見直す

 東洋医学と西洋医学が考えている内蔵は違います。

東西と分けるだけでも意味があるように、内臓の働きも見方も意味するところもまったく異なります。

しかしこの東洋医学的な内臓の認識も、現代の治療家が真に理解していたかと言うと疑問です。

手のひらにツボをプロットし治療の面から検査し考えてみると、今まで古代中国人が考えていた内蔵観を我々は理解できていなかったことが分かりました。

たとえば本治法をされる方たちは、「心臓は弱ったら我々は死んでしまうのだから、心経は治療しない」と聞いたことがあります。

私が考え分かったことは、これは心臓を活性化すると心臓そのものが壊れてしまうので、戒めとしてこのようなことを言ったのだと分かりました。

心臓をどのように調整すべきかその方法を見出せなかったので下手な治療をするよりはしないほうがましだったのでしょう。

心筋は再生しないとされてきましたし、心臓を鍼で活性化したら壊れた場所と正常な場所がバランスを崩してしまいます。

中古車のエンジンにがたが来ているのに、多くの燃料を送り込んで燃焼をさせようとするようなものです。

エンジンはバーストしてしまうかもしれません。

心臓の治療は慎重でなければなりません。

心臓は東洋医学では五精では「神」とされ、神や精神にも通ずるものです。

単なる血液ポンプとしては位置付けられるものではないと言うことです。

腎臓にしてもしてもしかり。

なぜ古代中国人は左の腎臓を「腎」右の腎臓を「命門」となずけたのはなぜでしょうか?

西洋医学解剖学のように、単なる濾過装置としての腎臓でないのはなぜなのでしょうか。

命門は説明されていますがそれだけなのでしょうか。

腎と命門の関係はどのようなものなのでしょうか。

五精では「精志」が宿るとされていますが、その意味はなんなのでしょうか。

2つある臓器には肺もあります。

肺がガス交換をする場所であることは当初から理解していて、西洋医学で理解したのはたった100年前であったと言うのは衝撃ですね。

五精では「魄」で気迫の魄に通じます。

まだ分かってきて間もないので、このあとの発見などは私のメルマガ「手のひら先生高麗手指鍼の散歩道」のなかで順次公開予定です。

まったく新しい治療の世界「手のひら先生の高麗手指鍼」治療の世界が開けてきたのです。

乞う! ご期待!