リウマチ相談室のブログ~手のひら先生の独り言~

手のひら先生が鍼治療を通して思う、つれづれなるよしなしごとをお話します

鍼灸師貧乏物語 3

こんにちは、ホームページ「手のひら先生のリウマチ相談室」を運営している、手のひら先生こと長谷川和正です。「リウマチ相談室ブログ〜手のひら先生の独り言〜」として、高麗手指鍼治療にまつわるお話をいたします。また毎日の治療については「手のひら先生の治療日誌」を作成しておりますので、こちらもよろしくお願いいたします。
私が学校に通い始めたのは、もう19年以上前になります。それまで苦しんでいた蕁麻疹が、ある機械を購入してから良くなりました。「蕁麻疹などと言う、病気でないようなくだらないもので、ずいぶん遠回りをしてしまった。こんな病気で苦しんでいる人は多いんだろうな。そうだこの機械で人を治してやろう」と思ったときは、発症した28歳からもう12年も経過してしまいました。40歳でした。でも初めは定年退職後に、「第2の人生にでもこれを行なえれば」と言う軽い気持ちでした。

入学して吃驚しました。夜間の部でしたし、鍼灸などと言うマイナーな世界に、結構若い人がいたからです。私は上から数えて2番目でした。若い方は高校卒業仕立て18歳から、上は56歳ぐらいの中学の先生でした。

職業は、理学療法士、翻訳家、教師、公務員、病院のケースワーカー、レントゲン技師、新聞配達員、病院職員、薬剤師 等々とバラエティに富んでいました。

1年目の終わりごとになると、この人間は鍼灸師なれないと思い始めているなと感じるものが2名はいたのではないでしょうか。それが2年生の終わりには3分の1は、「きっと元の職業に戻りそうだな」と思い始めたのではないでしょうか。3年生になって3分の2は脱落してしまったと聞いています。その頃はクラスの中から独立するのは1人、こう聞かされていたので、このクラスはその意味では優秀だったのでしょう。

他の資格と比べて入学も楽、資格取得も楽、でもそれで食べていくのは大変、地獄にいるようなつらい日々を送るかもしれません。どの世界でも生きていくのは簡単なことではありません。

でもこの世界を真に知っていて入ってくる者は少ない。卒業したら資格を取れて何でも治せると、夢に描いて入学してくるのです。それで先生たちは、ほんのちょっと前の自分たちの貧乏話、苦労話をしてくださっていたのだと思います。

でもね。そのような話を聞かないで反発して独立したら、これが本当に地獄でした。