リウマチ相談室のブログ~手のひら先生の独り言~

手のひら先生が鍼治療を通して思う、つれづれなるよしなしごとをお話します

開業鍼灸師になろうと思うまで 1

こんにちは、ホームページ「手のひら先生のリウマチ相談室」を運営している、手のひら先生こと長谷川和正です。「リウマチ相談室ブログ〜手のひら先生の独り言〜」として、高麗手指鍼治療にまつわるお話をいたします。また毎日の治療については「手のひら先生の治療日誌」を、そのほか「リウマチの広場(by 手のひら先生)」も作成しておりますので、こちらもよろしくお願いいたします。


鍼灸学校の規制緩和に伴って、鍼灸専科が爆発的に増加した結果、昨今は欠員が生じている学校もあるそうです。

私が卒業したのは、平成5年〔1993年)で国家試験として最初の年でした。

入学試験を受けたときは、17倍ほどの倍率でした。今は夢のように入り易い環境になっているわけです。

それよりさかのぼる事21年、私が就職した昭和47年(1973年)の頃も、同じような状況にあったそうです。
その時は卒業生や関係者を頼って、それこそお願いして生徒をかき集めたと、先生方が回想されていました。

ところが、1973年にニクソンが突然中国を訪問、毛沢東と会談し米中国交回復がなされたのです。このとき遂行したニューヨークタイムズ
の記者が、鍼麻酔を世界に発信し鍼ブームが起きたのでした。

私が受験する前は、20から30倍の倍率を数えたこともあったそうです。確かに同級生に聞くと、3回目の受験でやっと合格したそうです。仲良くなった隣の受験生に聞くと、2から3校は掛け持ち受験をしていました。競争は激しく大学受験なみだったように思います。

私は年令も40歳でしたし、入学動機も確かに「人を治したい」と言うのもありました。しかしその頃は「定年退職後の職業のひとつ」ぐらいにしか考えていませんでした。それが在学中に「開業したい」になって行きました。