ブラタモリ〜国分寺編 その1
今回はやっと大都会東京を離れて、東京の田舎隣町の国分寺市にやってきました。
国分寺跡は小学校の頃の遠足地でした。今もその頃50年前とほとんど変わっていない、稀有な場所です。
隣は国分寺そしてわが町には国府があったとされていますが、未だ発見されていません。
番組でも大国魂神社付近にあると推測されていると言われていましたが、いまだその影も見えないでいます。
40年前に神社の隣の土地を発掘していたら、食器などのガラクタが大量に出土されたので、スワここにが国府跡と色めき立ったそうです。
すぐに國學院大學教授が来て検証されたそうです。
良くは知りませんが、こういう発掘って学閥というか、縄張りがあるようですね。
発掘が始まった頃古くからの食器を扱っているお店のご主人が来て、「ここは私の店のごみ捨て場だった跡地です」と言われてあっけなく一大発見物語は終わってしまいました。
それから市内あちこちで遺跡が出ますが、どこも「ここが国府跡である」というものは出ていません。
私のような俗物はそんなものより小判でも出たほうが嬉しいのにと思っていますが。
さて国分寺府中もそうですが、風水的に守られている地域であると説明に納得しました。
すなわち朱雀、白虎、青龍、玄武に守られている地であると説明がありました。
国分寺と府中を簡単に語りましょうか。
昔中央線を甲府まで敷設しようとしたところ、汽車の火の粉が舞って来て畑が燃えると、筵旗をおっ立ってて反対したのが府中の土地だったそうです。
今となっては笑い話でしょうが。
でもほんの30年ぐらい前に、スーパーダイエイが進出してくると、商店主が本当にむしろ旗を立てて反対した時には呆れました。
JR中央沿線はそれ以来発展はめざましく、ここのところで完成した三鷹立川間の複々線化によってさらなる発展がされるでしょう。
国分寺は落ち着いていますが、なにせ財源がない貧乏市です。府中は平和島競艇場を財源に持つお金持ち市です。今は利益が上がらず苦労しているようですが。
その昔中央線をまたいで府中市の土地が突出していたことがあります。
その理由は、府中には府中刑務所、多磨霊園、競馬場があり、悪いイメージがあるからということでした。
当時の議会もそのことに反対せず国分寺編入に賛成したそうです。太っ腹ですよね。普通なら市税が減るので許さないのが習わしだったろうに。
そしたら世は高度成長期になりギャンブル収入が伸び、府中市は下水道から市施設充実が充実しています。
市の境は顕著で、こちらはアスファルト舗道あちらは砂利道を見た昔は、あれあれと思ったものでした。
その時の反対者というか国分寺編入を働きかけた人たちは、さぞ地団駄踏んだのではなかったでしょうか。
はけと言われている下には野川が流れています。一級河川と説明があったときは聞き間違えたと思いました。
4、50年前いや30年前ぐらいまで、野川は小汚いドブ川でした。良くザリガニを取りに行ったところです。
それが回収されて広くなりきれいな水が流れ、様々な鳥たちもくる憩いの場になっています。
野川を源流まで遡って行く道は、東京都とは思えないような散策に良い道です。
国分寺崖線呼ばれてといる崖に沿った道は、上流に行けば行くほど湧き水流れる清流になります。
この湧き水にあるように国分寺の水道水は、未だ井戸水を使っているので、東京都と一元化されたあともおいしい水道水として知られています。
府中も昔はおいしい井戸水が湧いたのです。そのためサントリーのビール工場が来たわけです。
松任谷由実の「中央フリーウェイ」の歌詞に、調布基地を追い越し右に見えるは競馬場左はビール工場、その工場がこの建物というわけです。
中央線三鷹駅から立川駅の間は、今まで区部と三多摩の格差の様にあまり開けていませんでした。
この複々線化を契機として飛躍的に発展する様に思います。府中は平気かな?