尾崎豊の遺書 文芸春秋 12月号
もう7、8年前にソウルの町を歩いていると、尾崎豊のあの澄んだ歌声が聞こえてきました。
「 アイ ラヴ ユー 〜」
へー!韓国でも尾崎豊流行っているんだと聞きほれていると、それは韓国歌手のそっくりさんの歌声でした。
まだ日本文化が開放されていなかったときだと思いました。 でも尾崎豊は韓国でも知られた存在でした。
今回「尾崎豊の遺書」を読んで、改めて駆け抜けていった一人の歌手が、壮絶な人生を歩んだことを知りました。
個人的な思い出は、デビュー当時「卒業」をテレビ神奈川で初めて見聞きしたのが始まりでした。
東京ではテレビ神奈川を受信するのは、VHSアンテナを別に設置しなければならないので苦労しました。
なぜテレビ神奈川を見たいかというと、土曜日の早い時間に競馬中継があったことと、まだ売れていないとかデビュー前の若いシンガーが出演していたからです。
FM放送でディスクジョッキーをしていた、マイケル富岡やピストン西沢も良く見かけました。
東京基地局のテレビ局では、マイナーな歌手はほとんど出演できないときでした。
そのとき尾崎豊が「卒業」を歌って、メジャーになりかけていたころに出会ったわけです。
私はもう30代でしたので、「この感じの歌はどこかで聴いたことがあるよな」ぐらいの関心しか湧きませんでした。
声の透明感は飛びぬけていましたし、歌のうまさは最初から分かりました。
しかし当初から何か「あぶないな」という思いがありました。
歌の方向性とかテーマとか、何か必死すぎて脆さ・危うさを感じていました。
この頃は私も体調がすぐれなかったこともあり、尾崎豊の喧騒とは別の所にいました。
改めて生き様を知るにつけ、人生のポケットというか落とし穴というか、そこに覚せい剤などの麻薬が入ってくると、その先は才能も人生もなくなってしまうものだと実感しました。
それにつけても親子の声は似るものです。
一時流れたANAの歌声は、本人の声と間違えました。驚きました。
あのDNAを受け継いだ澄んだ声がまた流れるんだ。