リウマチ相談室のブログ~手のひら先生の独り言~

手のひら先生が鍼治療を通して思う、つれづれなるよしなしごとをお話します

由紀さおりが騒がしいぞ!

 由紀さおりの名前も懐かしい響きになってしまったと思ったら、このごろ騒がしくなってきたようです。

この何年といっても10年20年は、お姉さんと行っている童謡のコンサート活動しか耳にすることがありませんでした。

それが突然「由紀さおり」が海外で騒がしいぞ!というニュースが飛び込むようになりました。

昨日の菊池成孔のいきな夜電波でも取り上げられていましたね。

由紀さおりが「夜明けのスキャット」で、ヒットチャートを駆け上がり始めたとき、私は大学2年生頃でした。

古いね!もう40年以上前なんだ。

深夜放送で火がついたんでした。

そのときTBSラジオにアルバイトの仕事があったんで、朝6時おきして3日ほど通いました。

何しろ我が家は東京といえどど田舎と言っていい府中市、その中でも交通の便が悪いところでしたので、花のお江戸の赤坂までは2時間は掛かりました。

何か坂の多いところでごちゃごちゃしたところに、古ぼけたビルが立っていました。

いまは立派な赤坂サカスとかいう巨大なビルに変わっているようですが。

予定した仕事が済んでしまって、担当者に言われリクエストはがきの整理を行うことに成りました。

久米宏アナウンサー、黒柳徹子さんの司会のザ・ベストテンの前身、前の都知事青島幸男が司会者のときでした。

大量のはがき整理をし、リクエスト票を数えることになりました。

隣に座った他大学の上級生と、この曲最近はやっているらしいけど良いよね。

という話になり、それじゃあと二人で水増し投票をしました。

しばらくするとこの曲はあれよあれよという間に1位に上り詰めたはずでした。

このアルバイトはそのほかにも思い出があります。

何かの曲につけるかで作詞の応募用紙を請求することも行っていました。

決まったとおりの返信封筒が入っていなったり、切手が張っていなかったり欠陥応募がありました。

中には歌手だかアシスタントのお姉さんを、息子の嫁にくれないかという、田舎のばあちゃんの手紙が入っていることもありました。

勝手な思い込みでしたがどうやらかわいい女性のような筆跡でしたので、返信切手が張ってなかった応募違反でしたが、あまった切手で個人名を書いて出してあげたこともありました。

お礼の手紙がきて後で恐縮した思い出があります。

青春の断片を思い出してしまったしだいです。