「フリーター家を買う」から秋葉原の茂木さんを思う その3
私のホームページ「リウマチ(リュウマチ)に関するお悩みは手のひら先生のリウマチ相談室へ」http://www.d2.dion.ne.jp/~kouraiha/
の中に「手のひら先生の独り言」のページがあります。
その1ページが「秋葉原の茂木さんです」
http://www.d2.dion.ne.jp/~kouraiha/monologue%20motegi/
私が大学2年生の夏アルバイトで行った秋葉原に、いらっしゃったのが、茂木さんでした。
40年も前の話ですが、その頃は学生運動華やかりしころで、仙石官房長官ももしかしたら投石していたのではないでしょうか。でも民青とのことなので、そんなことはしなかったか?
私はノンポリで、やっと勉強する気になったのに大学はロックアウトで通えません。アルバイトに精を出さないといけない貧乏学生でした。
いまのように簡単にアルバイトが見つかることなないので、大変な時代でした。やっと「アルバイトニュース」がタブロイド版で発行された時でした。
パイオニアという会社の派遣店員という身分でした。その頃は今のように大型量販店が出始めたころで、家電を安く買うには秋葉原に皆が押し寄せた時代でした。
また当時はコンポーネントステレオが大きく売れ始めたころでした。「木村ムセン」とこの分野では急激に伸びたお店に派遣されました。倉庫から商品を運んだり、店員さんの補助です。
離れたところに試聴室があり、20代前半でその長をされていたのが「茂木さん」でした。
マニアが訪れる今から考えれば、「メッカ」だったかも知れません。
茂木さんはオーディオ会社から転職し、「真空管アンプ」のオーソリティーでした。
私はたった1カ月のアルバイトでしたが、その後の人生にとって有益な、様々な知識を学びとったと思います。
特にその頃はそれほど意識していなかったのですが、茂木さんを初め「プロ」と呼ばれる方がそこにはたくさんいました。
「フリーター家を買う」で竹中直人の父親が息子の二宮和也に、繰り返し「お前みたいな能力もないくせに、プラドだけはある奴」と怒ります。
他人を見下す若者たち (講談社現代新書) [新書]「自分以外はバカの時代」
速水 敏彦 (著)
まさにこの本の内容のような若者が、二宮和也の役どころです。
でも考えると彼も最終回では大悦土木に就職する時に、社長から言われる「内には現場にも事務にも精通する営業職員はいないからよ」と言う言葉が、彼も他の人間とは差別化したものを持ったと言う証明です。
コンポーネントのオーディオブームもあっという間に終焉しました。ミニコンポにとって代わられ「木村ムセン」も小さなお店になりました。
茂木さんもどこへ行かれたかも分かりません。30年もお会いできませんでした。
それが劇的な再会を果たしたのが、およそ7年ほど前でした。
いつも訪れていたのにあえなかったのですが、本当の偶然で「サトームセン」のオーディオ売り場で再開したのです。
それからご存じのようにサトームセンは、ヤマダデンキに吸収されてしまったわけです。
その数年前から先ほどのページを作っていました。ヤマダデンキに移ってすぐ、茂木さんは神経性の下痢を発症したのです。「すぐ分かったそうです。これではいけないと思って、ある人に相談した」そうです。
すると「茂木さん、秋葉原の茂木さんと言うページもあることだし、秋葉原に戻っておいでよ」と言う言葉に勇気付けられ戻ったそうです。
初めは小さな倉庫を改造したお店ですが、今ではヨドバシカメラの並びに大きな店舗を出すまでになりました。
茂木さんには多くのマニアが通います。中にはオーディオの話だけして帰るお客さんも多くいます。おじさんたちの憩いの場の感もあります。
昔ある大学教授にこう言われました。「君、しっかりとした技術を持っていれば、どのようなところにいても世間は放っておかないよ」。
茂木さんのように「真空管アンプのカリスマ」のような技術を持ち、誰にでも温かくその人の身になって機器を選ぶ相談に乗る。そのような意識をもった人は、世間は見放さないのです。
私も心のどこかに茂木さんのような、プロフェッショナルに近づきたいと思っているのです。
大きな会社であれ小さな会社であれ、そこで人とは違うものを持てれば、いつの時代にも生き残れることができるのではないでしょうか。