石子順造的世界〜府中市美術館
我が府中の美術館も最近はマスコミに取り上げられる、企画がなされるようになったみたいです。
なったようですというのは、ここ2年ほど脳溢血リハビリで見学する意欲がわかなかったからです。
私が市役所職員であった20年以上前に、美術館設立準備室が設置されました。
市では人材がいないため東京都から職員が出向していました。
問題がなければいいけどと思っていましたが、予想に反して杞憂に終わったのは幸いでした。
その頃東京都で購入した絵画に疑惑があると騒がれていたからです。
石原慎太郎東京都知事の次男の方が絵描きで、関連して東京都が購入した絵画が相場より高いのではと騒がれていました。
また世界的にも有名な画家の真贋が問題にされていたからです。
山梨県立美術館のような「ミレーの落穂ひろい」や「種まく人」など、かなり高額な作品を購入し批判を浴びるのではないかと心配、かつ楽しみでもありました。
偽物でもつかんだらどのようになるんだろうと、田舎の美術館運営の危うさを思いました。
当市は大田区平和島で競艇場を運営しているので、ゼネコンからは期待の星ではなかったのではなかったでしょうか。
11の文化センター、婦人会館、教育センター、三世代交流センター、グリーンホール、市民会館、生涯学習センター、中央図書館、郷土の森博物館、芸術の森と次々と箱物が建てられました。
将来の運営コストを心配する声もありました。
美術館は何十年も前から声が上がっていました。
しかし文化的には不毛の地、東京の田舎に美術館は必要か?と思っていました。
欲しい欲しいと行っているいわゆる美術愛好家たちの描く絵が、趣味の域を出なかったのでその発表の場にするには、あまりに高価すぎると思ったからです。
そんな中ついに立てる箱がなくなったのか、美術館が完成しました。
こけら落としは19世紀のフランス宗教画家でした。意外でした。
ここに皇后陛下がお忍びで来られたと後で聞きました。
お忍びなので直前になって近所のおばさんたちに声をかけ、歓迎するために動員が図られたそうです。
それから何年かの企画は本当に地味でした。
でも私てきにはとてもよい企画でした。
マイナー企画なのでもちろん観客は来ません。東京の田舎府中だぜ!来るわけないじゃん!
相当馬鹿にした言い方ですが、そんなもんです。
今まで企画された多くはこの手のブローカーによるものが多かったのでしょう。
しかし意外とキラリと光るものも何回かありました。
印象に残っているのは、地元三多摩地区の抽象画家たちの作品展示のときでした。
有名なところでは赤瀬川原平さんですが、そのほかの方たちの創作も興味深いものがありました。
特に抽象画というとややもすれば、パフォーマンスを見せいきあたりばっかりのものが目立ちます。
しかしなかには精密な計算式から描かれるものがあるのだと、その製作過程まで見ることが出来た展示でした。
それから抽象画に対する見方が変わりました。
意外と府中市美術館いいじゃん!
常設展「小島憲之」これも行くごとに展示品が少しづつ変わっていて、飽きないのはいいのですが「やっぱひょっこり瓢箪島」は外して欲しくないなあ!
あれは「瓢箪島じゃない」という方もいらっしゃるかもしれませんが、あなたは間違ってますよ!
是非見たい方はリクエストしてください!良いえですよ。
さてそんな中開催されているのが、「石子順造的世界」展です。
近くの郵便局に行ったらパンフレットがあり気がつきました。
パンフレット表紙に「つげよしはる」のネジ式のえが、とても興味を沸かせたのです。
石子順造的世界
http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/ishiko/index.html
それとTBSラジオで、よくテレビに出てくる坊主刈りというかモヒカン途中の何でも評論家が、やたらめったら美術館員の今回の努力を褒めまくったので、それも行ってみようかという動機になりました。
我が家からは歩いて10分ほど、昔は米軍極東司令の跡地の公園内にあります。
今も自衛隊の航空司令部がある重要基地が隣にあります。
小学生の時は共産党員の先生が「お前ら知らないだろうが、ロシアからロケットが飛んでくるときは、あの陸軍燃料廠あとに飛んでくるんだ。だから米軍は月に1回は避難訓練をやっているんだぞ」と言っていましたね。
そんなとこもあった土地に立ち駅からは少し離れているのですが、美術館としては素晴らしい立地ではないでしょうか。
チケット売り場まで歩いていくと向こうから見たことのあるおじさんが係員と話しながら歩いてきます。思わず会釈してしまいました。あちらも返してくれました。
名前が最近でないので窓口で聞いたが、そこのお姉さんもすぐには出てきませんでした。
やっと出てきた答えが「横尾忠則」さん。
「ああ!我明治大学の大先輩高倉健さんと対談した時、両者顔を合わせてドォーモと言ったきり、二人とも寝込んでしまった」あのおじさんです。と言ってもおそらく私より5歳ぐらいしか上でないいでしょうが。
さて「石子順造的世界」いいよ!
ピカソの絵を三次元で立体に制作した方がいたのには驚きました。
伊勢丹だか三越だかの美術館でピカソ展を見たことがあります。昔は日本文化高揚のためデパートが一役かっていた時代があったのです。
今でもいるでしょうがそういうところで連れに薀蓄をひけらかしているバカが必ずいるんです。
でもピカソの絵なんて最初は実験的な意欲作だったかもしれないが、後期の作品なんてもう惰性で作成していたとしか見えません。
むかし後輩が入院してたまった週刊誌を嫁さんが家に持ち帰って置いといたら、子供たちが「この手はこの人のだよ、この足はこの人のだね」と話していたそうです。
覗いてみると「なん人かの男女がくんずほぐれつしているグラビア写真があった」そうです。
ピカソの絵はそんなふうにしてみればいいんだ、と納得してから私の見方はかわりました。
そんな中この造形はなんなんだ?
三次元を二次元で表現したのを、わざわざ三次元に治す作業をするというのはなんの意図があったのか、とっても感動する皮肉。
漫画が芸術?確かに三十年以上前から、「漫画は小説を超えた」と言われているけど、私の中ではそれは疑問だよね。
漫画家が芸術家になったら存在意義を失ってしまいかねないと思う。
芸術至上主義に対抗して、漫画やペナント、風呂屋のペンキ絵を評価するのはどうかな?
アンディ・ウォーホルのキャンベルスープのラベルを見た時は衝撃でしたし、横尾さんの作品や東大紛争の時話題になった橋本治氏の「泣いてくれるなおっかさん」のポスターも、今は立派な技術作品と眺められるようにはなってきました。
私の鑑賞時間はとても短いです。人の三分の一ぐらいです。
目の情報収集能力は高いので、作品を隅々まで眺めるより、写真を撮るように目に焼き付けながら動き回ります。
後で思い出しながら印象的な作品を味わうというのが私流です。
今回の展示はなかなか見ごたえあるものでした。作品を見るというより、石子順造の世界を通して「あなたの芸術のいまは」を問いかける経験をする時間でした。
この美術館の楽しみは、出口にあったオブジェだったのですが、それが撤去されてとても残念です。
水牛の大きな角のようなもので、ブロンズ製なのか青みがかっていました。
その片端を足で押し下げると、シーソーの様に揺れ始めるのです。
もちろん誰も見ていないところでおこなうのですが、それがなくなって少々寂しいです。
受付のお姉さんには復活してくれとお願いしてきたのですが。
自由に触れる芸術作品。とってもいいと思うのだが。
追記、