アルチュール・ランボーの新訳が出た
鈴村和成訳で発刊されました。
アルチュール・ランボーたって、アルコール中毒やあのスタローンが演じた暴れものではないことは、賢明なる皆さんはご存知のことと思います。
30年前にサントリーのコマーシャルに、ピエロを先頭に砂漠を行進するサーカスの一団の映像が流れたことがあります。
マーラーの音楽にランボーの詩がかぶさった、とても格調あるコマーシャルでした。
何をトチ狂ったか私の前に座っている先輩が、今まで聞いたこともないのにマーラーのCDを購入し、よせば良いのにそれを見せびらかしたのです。
「これ知ってるかい?」さも自分が知識人の様に振舞ったのです。
やだね中途半端なインテリゲンチャは。
「探偵はBARにいる」の消えた少年の中にある一節ですが。
「ああ!あのコマーシャルですね。ランボーの詩が流れていましたね。ランボーは私が17歳の時に読んで、感動した唯一の詩人です。」
と言ったら彼は黙ってしまいました。
嫌だね中途半端な付け焼刃に知識人ぶるのは。
こんな輩が市役所の一部には居るんだね。
アルチュール・ランボーは早熟な詩人で37歳で夭折ました。24歳ではや詩作は辞めてしまいました。
私が読んだのは17歳の時で、堀口大學訳のものでした。
有名なのは「酔いどれ船」とか「地獄の季節」「イルミナシオン」ですが、私はこの時の心情から「永遠」の詩に心打たれて感動しました。
「あ何が見えた
何が
永遠!・・・・・・・・」
と続く詩に興奮しました。
その後粟津則雄訳が単行本出版された時も購入しました。
これはこれで読みやすく私の宝になりました。
文語調の格調ある響きは堀口大学訳が勝るのではないかと思いますが。
私にとって粟津則雄さんは少なからずご縁があるようです。
私の尊敬する伊藤正博さんは数年前「公僕の大冒険」を著し、少なからず波紋を投げかけている方です。
時々人生相談をお願いしている、頼れる先輩でもあります。
この伊藤さんの奥さんのお兄さんが、粟津則雄さんでした。
世間はやっぱり狭いものです。
ちょっと高価なのですが、思い切って鈴村和成個人新訳を購入しました。財布には痛い値段です。
購入同期は書評に、「ランボーは早熟な詩人で、多くの詩作は20代前後になされたものである。16歳から発表している。
今まで5作ほどの訳は漢語調かまたはもっと大人の口調でなされている。
今回なされた新訳の言葉にあるように、二十歳前後の若者の言葉で書かれている。
この惹句に誘われて購入を決めてしまったのです。
確かに今までおぼろげながら、その点には違和感を覚えていました。
まだ数ページしか読んでいませんが、確かに青年のみずみずしい感性が読み取れるようです。
原語が分かったならとは思うが、第2外国語フランス語は「良」だったかな?悲しいことにそれは不可能です。
ただこの「永遠」に関しては前の2訳の方が、今のところしっくりくる感じがあります。
じっくり粟津訳と読み比べてみようと思う。
青春が蘇るかな?