菊池成孔の粋な夜電波 みっけた!
脳溢血で倒れるまでは毎月レコード芸術とスイングジャーナルを、習慣のようにして購入していました。
やっと頭が正常になって来たのか、スイングジャーナルを探したのですが見当たりません。
ネットで探したら休刊したそうです。
銀座山野楽器や新宿HMVまでいかないと、ジャズのCDは購入できません。田舎なので。
その頃でもジャズは話題になっても、CDは売れなかった。
ジャズの番組も少なく、新譜の情報を手に入れる方法が一つ失ったのは残念なことです。
またラジオにもジャズテイストの番組もすっかり無くなった気がします。
そこにTBSラジオ、日曜日にちょっとそんな臭いがする番組を見つけました。
むかしラジ関今はラジオ日本は、KEN田島の横浜の香りたっぷりな番組や日替わりで代わるパーソナリティが抜きん出て、とても魅力的なラジオ局でした。
チャーや名前は忘れてしまいましたが、特に面白かったのがスタジオミュージシャンの方でした。
確か小朝の奥さんだった三平の娘、泰葉と話しているときに「あなたずいぶん頭の悪そうな話し方しますね」と言ったり高田渡が酔っ払ってスタジオに入って来るといきなり「あ!げろはいたこいつ、きったねー」と言っているうちに、高田は帰ってしまったことが有りました。
毎日のペーソナリティはとても個性的でした。
そんな感じが戻ってきた、チョットね。
菊池成孔の兄さんはかの小説家で、オカルト・バイオレンス・セックス小説菊池秀行の弟だそうです。
むかしは読んだことがあるのですが。今はご無沙汰です。夢枕獏も読まなくなったな。そういえば。
昨日の放送の出来はいまいちでした。夏風邪資本主義特集で支離滅裂気味、風の毒素が頭に回ったようでした。ジャズやれ!
歌舞伎町に住み着いているようで、わが卒業の鍼灸学校もそのそばに有りましたので、ちょっと親近感あり。
最近はお掃除が行き届いてきたそうですが、まだまだ猥雑いかがわしさは健在のようです。
聴取者からの便りを紹介。「私菊池さんのお住まいのそばに習い事をしていました。帰り道良くサラリーマンに『お姉さんいくら』と声をかけられました」
それを紹介しながらこう言いました「きっとお姉さんおまんじゅう抱えていたんじゃないの?」
えっ!私「お姉さんは皆んなおまんじゅう持っているの」
さて内容はなかった昨日ですが、意味の無いけど面白いボキャブラリーの豊富さは、次元は違ってもお笑いのザキヤマ見たいでした。
キネマ旬報7月下旬号に偶然彼が対談しているのですが、久しぶりに購入してしまいました。
唯つと行っていいDVDボックスを持っている、フランソア・トリュフォーについて語らっているので、益々興味が湧いています。
菊池成孔
http://www.kikuchinaruyoshi.net/
自分で作ったリハビリCDが聞いてきたのか、1か月前は朝一番にする日課が今日見るテレビ番組にチェックを入れることでした。
番組が重なるのでビデオ録音も忙しかったのですが、今は1、2番組ぐらいしか興味がわかなくなりました。
その代わり小説やクラッシック、ラジオに頭がシフトしてきたようです。
我が母校東洋鍼灸専門学校は当時歌舞伎町の端っこで、ラブホの真ん中に有りました。
戦後学校制度が変わって拓大付属の高校であったのが、専門学校になり初代の校長の居宅が学校に衣替えしたのです。
戦前に竣工した時は野原の真ん中に、白亜の4階建て出会ったそうです。それがいつの間にかラブホやキャバレーに囲まれてしまったというわけです。
私も下見はしたのですがそれが昼間だったので気が付きませんでした。
通学初日夜空にきらめくネオンサインとラブホのネオン看板に「これから3年間も通うのか」と唖然としたことを今でも鮮明に覚えています。
菊池さんが散歩がてら通るというホストクラブ「愛」?も行ってみたことがあります。
週刊文春の覆面ルポライターが刺されたのも、歌舞伎町のバッティングセンター近くでしたね。
みんな学校に隣接する場所でした。
よく通ったよね。
もうエイズ持ちのような顔色の悪い南米から来たお姉さんも、中国語訛りのラーメン屋の店員も今は少なくなっているのでしょう。
4年ぐらい前行ったときはもう韓国焼肉店だらけになっていたので、今はさらに加速されているでしょう。
菊池さん!来週はジャズテイストで歌舞伎町の臭いふんぷんとさせ、おじさんたちの楽しみなラジオ放送して欲しいな。
夏風邪は生姜湯これしか効かないので、是非21日は元気になって頼むぜ!