リウマチ相談室のブログ~手のひら先生の独り言~

手のひら先生が鍼治療を通して思う、つれづれなるよしなしごとをお話します

チャングム(イ・ヨンエ)双子を産む

原題「テ・ジャングム(大長今)」日本の題名「宮廷女官 チャングムの誓い」。

チャングムの誓い キャスト 
http://www.vap.co.jp/daejanggum/html/cast.html

主演の イ・ヨンエが韓国の実業家 チョン・ホヨン氏と結婚、この度双子を出産されました。まずはおめでとうございます。

チョン・ホヨン
http://hanryuch.seesaa.net/article/146619599.html

韓国では日本の「吉永小百合」と言われていたそうです。がスマプの番組に出演した時は、気の強そうな感じでしたね。吉永小百合と似ているのは顔立ちだけと思いました。

さて昨今の韓流ブームも、一時の熱狂から覚めた感もありますでしょうか。

ほんの7、8年ほど前までは、韓国映画なんて一部のマニアだけだったのではないでしょうか。

その少し前から私はDVDを見始めたのですが、正直見るに堪えないものが多かった。

作品の質も俳優陣も、今の隆盛からは雲泥の差でした。

かろうじてソ・ピョンジェ(西便制)がキネマ新報で賞を獲得したものでした。これは伝統芸のパンソリをテーマにしたものでした。

ソ・ピョンジェ 邦題「風の丘を越えて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E3%81%AE%E4%B8%98%E3%82%92%E8%B6%8A%E3%81%88%E3%81%A6/%E8%A5%BF%E4%BE%BF%E5%88%B6


それから2年ほどして私の好きな、チョン・ドヨン主演「チョップ・ソク 邦題「接続」」が出てきました。

Cinema Korea 「接続 キャストほか」
http://cinemakorea.org/korean_movie/movie/setuzoku.htm

このころから韓国政府の政策で、海外に映像の勉強に行っていた若者が帰国し、次々に質の高い映画製作を始めました。

この接続の主演は、ハン・ソッキュでした。昼メロで人気のでた彼は、「シュリ」でブレイクしましたね。

ハン・ソッキュ K-plaza.comより
http://k-plaza.com/star/en_sta_ha004.html

このころまで、韓流スターは必ずしもハンサムとは言えませんでした。そのご3年ほど映画に興味を無くしていたところ、いきなり「冬のソナタ」がブームになり驚きました。

その頃から韓国のイケメン男優が騒がれてきたのではないでしょうか。

でもまだその頃の作品は海外作品の模倣も多く、質的にレベルは高いとは言えませんでした。

その中でも韓国の歴史物は、独自文化を表現したもので、質的にも評価されていました。

物語は母の生い立ちを知り、その復讐のため宮廷女官となったり、漢方医となったりする物語でした。

監督はそれまでの歴史物のエッセンスをすべて詰め込んだと言っていましたが、それだけの見ごたえあるもので日本でもヒットしました。

韓国でももちろん鍼灸は昔から行われて来ました。しかしいわゆる伝説的な名鍼灸師のような人はなく、日本で知られているのは、ソン・ウゲだけしょうか。

しかし高麗手指鍼理論を学び分かったのは、気の調整・治療理論は日本や中国よりも進んでいたことです。

中国では基礎的な考え方はありました。日本では全くありませんでした。しかしおそらく韓国を併合中に渡韓していた日本人が、その理論を知りそのままではまずいので、日本独自の理論構築をしようと努力したのですが、不完全に終わってしまいました。

また数年前まで漢方薬を愛用していたのは、韓国人だと言われていました。韓国には同業者が集まって街の一角を形成することが多いのですが、その街もこの数年事情があって3分の1程度に縮小してしまいました。

そう言うことを頭に入れてこの映画を見ると、まは興味は涌くと思います。

ただがんに効く秘薬のようなものや、このツボ一か所でなんでも治せるような治療の場面は、少々笑ってしまいました。

鍼灸師の養成場面で気功の訓練がありましたが、「あれ?」私と同じようなことをやっていると、少々意外なところもありました。

演技力とかは別として、韓国の映画産業が勢いずいた時の記念碑的な作品と私は好きです。

でも考えてみてください。日本語が認められ、芸能界の交流が解禁された時、韓国は日本に席巻されてしまうと危惧していました。

でも今見てください。韓流ブームとか言って、日本のテレビでは50以上のドラマが流されている上、歌手の注目度もあります。

でもこれ表面を見ているからで、昔から「韓国の血を排除したら、紅白歌合戦は成立しない」と言われていたことを思えば、当然の帰結と思うのです。