リウマチ相談室のブログ~手のひら先生の独り言~

手のひら先生が鍼治療を通して思う、つれづれなるよしなしごとをお話します

死んで貰います

今日の題はちょっとそぐわないですか?癌やリウマチ、糖尿病を治せると言っている者が、こんなの書いちゃだめだろう?いやいや今日は趣味の映画のことで書いてみます。
Tsutaya Discas つたやディスカス」というDVDの宅配システムを利用しています。40枚ぐらいを事前に登録しておきます。このぐらい余裕があると、今まで見ていなかったものもちょっと見てみたい気になってきます。それが高倉健主演「昭和残侠伝死んで貰います」でした。
府中という東京のいなかに住んでいると、東宝シネマズと言うシネマコンプレックスはあるのですが、文芸物等は(古い表現だなー、古色蒼然かな)まったく上映されない。少なくとも渋谷新宿、神保町まで行かないとこれらを鑑賞できません。多くは行こうと思っているうちに、終了してしまいます。年をとると映画を見るぐらいで、大都会に行くのは億劫になってしまうのです。
さて、東映のヤクザ物が流行っていた頃は、大学紛争が激しいときで、全共闘は権力側に制圧されるのを彼らの美学として、映画の中の健さんに重ね合わせて見ていた。そのような記事が新聞で見かけたことがありました。私は高々ヤクザごときの映画がと思って、当時は見たことはありませんでした。それに映画は斜陽産業であり、映画館自体が汚い建物であったので、入る気が起きませんでした。ビンボー学生だったので入場料も惜しかったし。明大前には駅前に1館あり、そこには加山雄三の映画を見に入った事がありました。加山雄三が借金を抱えて苦しんでいたのが、なぜか彼の過去の映画を見て学生が盛り上がっていたときです。なんとなく気になって見ることにしました。始まりと終わりに、館内は拍手拍手、拍手喝采でうまるのです。昔小学生の頃は、みんな映画はそのようにして見たなという感じでした。加山さんはその後無事借金完済しました。
この頃大学の学園祭で、「あの市原悦子が初めて脱いだ映画」と言ってチケットを売っていました。いまはテレビのシリーズ物で活躍されているようですが、昔も今もはっきり言ってブスだよな。もちろん脱いだからと言ったって見る気は起きません。宣伝文句に使った奴も使った奴で、ま!うちの学校じゃしょうがなかったか?
健さん健さん。我が大学の大先輩です。見ました。なかなか面白く見ました。先入観よりかなりしっかりとした構成になっていたのは意外でした。藤順子、何だこの台詞の読み方。長門裕之、若いね演技も。池部良いい男だったね。加藤嘉荒木道子なくなってしまったなー。と懐かしい役者さんばかりでした。高倉健も二枚目だったんだ。
最後は「いわゆる悪い奴を切りに、殺しに行くのだが」大切な料亭を守ると言う、その料亭がどう見ても、由緒ある歴史ある料亭には見えず、ただの割烹旅館にしか見えないのは、斜陽産業の予算のせいかと納得しました。
殴りこみに行くと、昔ながらのちゃんばら映画になっていました。ただよりリアルになっていて、血は飛ぶは大事な義兄弟は切り殺されるのは、ちょっと新鮮でした。アメリカ映画、24みたいに誰でも無差別に殺していくのはどうかと思うが、この程度の哀れみはやはり映画の基本だな。でも意外だったのは、最後は警察にお縄になってしまうんだよね。荒唐無稽な映画なら、最後は遠くへ逃げていくのが自然じゃないのとも思うけれど、此処が学生に受けたところなんだと、変な感心をしちょっとタイムスリップしました。
最近黒川紀章さんが無くなりました。彼の作品が週刊誌に紹介されていました。あれもそうだったのかと思うものも数多くありました。大工の棟梁に「作品が後世に残って良いですね」と尋ねると、「悔いの残るものばかりで恥ずかしい」といっていたのを聞いたことがあります。
いつも思うことですが古い映画で特に日活映画などを見ていると、荒唐無稽な設定が目立ちます。白い服にパナマ帽、錨を止める所に足を止めて、撃ったばかりのピストルの煙をフーと吹く。こんなことをやってた俳優が、今は演技派で演劇論を交わす。でも彼、彼らは昔の映画を見てどのような感想を抱くのだろう。興味あることです。会社の命令で演技したとしてもですが。
次は大映映画、田宮二郎の映画を見よう。黒の試走車などどうだろうか。