リウマチ相談室のブログ~手のひら先生の独り言~

手のひら先生が鍼治療を通して思う、つれづれなるよしなしごとをお話します

鍼灸師はつらいよ 3

私がリウマチや糖尿病を治せるようになったのは、高麗手指鍼の持っている力によるところが大きいことは否めません。ではこれを習った鍼灸師が鍼を刺せるからと言って、即治せるかと言ったらそれはありえないことです。断言できます。私が糖尿病論文発表をしてから、それを会長が認めてくれて「高麗手指鍼の糖尿病に対する確固たる有効性を発表しているのです」。私が工夫をしたことで、これらが難病ではなくなったと言うことです。
これは日本の鍼、高麗手指鍼ではこれを「手のひら」に刺す鍼に対比して「体鍼」と呼んでいます。この鍼なら身近にあるので、皆さんも理解できるのではないでしょうか。そこらじゅうに鍼灸や針灸、あんまマッサージの看板が目に付くでしょう。でもそこら辺で誰もが知っている、評判の良い鍼灸院になると、ぐっと数が少なくなってしまうでしょう。また腰や肩凝りがあって、さてかかろうと思ったらどこに行きますか。躊躇してしまうのではないでしょうか。これがもし病院や医院でしたら、評判など聞かず皆さんは比較的便利なところにかかりませんか。なぜなんでしょうか。
信頼感が違うからではないでしょうか。その信頼感の欠けているのはどこから来るのでしょうか。医師制度6年制、鍼灸制度3年生、年数の違いでしょうか。見知っている鍼灸師で、1日の患者を50人とか、友人も25人診ていたとか、韓国では200人診ていらっしゃった方とお会いしました。これだと学校制度の違いではないでしょう。
一人前になる鍼灸師(体鍼)というのを私なりに理解している過程を描きます。学校を卒業しても鍼治療はまったく出来ないので、当面はマッサージ資格で食べることになります。その後いろいろな情報を得て、セミナー参加をし勉強を続けることになります。しかし一番オーソドックスな方法で治せる鍼灸師になるための近道は、弟子入りと言うことになるのではないでしょうか。従業員ではないですよ。その昔はそういう形がありましたが、それも今は昔のことです。おそらく戦前や大正以前の弟子は、給料もらっていないでしょう。おそらく。ほかの職業、例えば落語家などでもそうだったのだから。
給料を与えて治し方まで教えてくれるところはありません。治せる技術を手取り足取り教えて給料を与えたら、従業員はすぐやめてしまいます。だから教えません。教えるにしてもゆっくり、少しづつです。患者となると、よっぽどの弟子でなけりゃ治療してほしくないですよね。
まず弟子入りするような先生を探すのが難しい。自分がどのような治療をしたいのかを定めていないと、2年3年修行して途中から方向転換をするのが難しいからです。先生との相性もあるますしね。2年生の時に読んだ首藤伝明師の「経絡治療のすすめ」冒頭にこのエピソードが載っていて、びっくりしたことを覚えています。
断ったのに夫婦で来て頭をたたみにこすり付けるようにして「是非教えてください」と何度も頼むので、弟子入りを許したそうです。あと少しで一人前になる2年過ぎた頃、パタッと来なくなった。どうしたのか心配して電話すると、患者が混みはじめたので見学には行けないという事だった。今一人は3年の修行を終えてさて開業となったら、目と鼻の先に治療院を開いたそうです。これでは仁義なき社会になって、教えたくなるのも当然でしょう。
 これは聞いた話です。弟子入りとは毎週1日先生の都合のいいときに見学にいきます。見学と言っても、勉強を只で教えてもらうのですから、掃除したり会計したり、時には鍼を抜いたり、無料奉仕をするのは当然です。半年ぐらいして先生が人格を認めてくれたら、少しづつ実地で教えてくれるのです。「この患者さんの脈を診てみなさい」「はい、失礼します」「どのような脈だったかね」「腎虚証と診ました」「いやこれは肝実証としてとりなさい」と言うような教え方だそうです。あくまでも先生の好意で教えてもらうと言う形なのです。私の友人はこれを良く理解していなかったようである日突然来訪し「頭に来ちゃったよ」「どうしたの」「あいつ、俺が子供の父兄参観があるから来週休むと言ったら、いやな顔しやがるんだ。あんな所止めてやる」と言っていました。実力のある先生で弟子の希望者はたくさんいて、彼は幸運が重なって採用されたのですがその運を使い果たしてしまいました。結局開業1年足らずで廃業しました。いま卒業後の訓練に気がついてそれなりの努力をされていらっしゃる方がいるようです。