リウマチ相談室のブログ~手のひら先生の独り言~

手のひら先生が鍼治療を通して思う、つれづれなるよしなしごとをお話します

鍼灸医学は時代遅れか 2

糖尿病やリウマチが西洋医学で治らないのに、鍼で治療が出来るとしたら鍼は時代遅れとそれでも言われ続けるのでしょうか?
西洋医学と比較して東洋医学はその症例を挙げて説明しても、いつもやった治ったの治療実績として排斥されている。しかしこれは前に述べたように、わが国の東洋医学の研修、修行システムを壊したのがその根本原因なのである。多くの症例の演繹的な積重ねによる治療システム、それを学ぶことによって共通認識の上に立って信頼は勝ち得るのである。明治以前はわが国にその信頼システムは存在したと考える。とは言っても現代はそのようなシステムは現実にほとんど存在しないことも事実である。
では西洋的に何々疾患の患者治療のうち何人が治癒として集計しても、その治療の基礎となるものが個人的なものであって、数字で表現してもその技術の優秀性を表現すべくもない。あくまでも個の体験の中に封じ込てしかるべきものである。脈診といってもそれは個人の感覚です。共通感覚を養う為システムを考えて、訓練しているところもあります。それでも個々の主観の範囲に留まります。ツボの名前が同じでも流派が違えば違う場所なのです。また同じ名前のツボでも鍼灸師が違えば、微妙に違ってもきます。鍼灸師の持っている「気」も個々人で異なります。これらの上に立つ治療成果を数字で積み上げても無意味です。
そこで私の提案するのはまず、治療技術訓練または修行のシステム化です。現行の学校システムでは、実際資格取得としての学習の場でしかありません。確かに鍼灸は個々の主観的な治療であるとしたわけですが、一定の技術体験をすることで、「鍼灸」と言うもの全体としての技術、治療体系は基準化されるはずです。次のステップとしては個々の鍼灸師が自らの治療実績を何らかの形で発表、表現すべきと思うのです。それが鍼灸師への一層の信頼を勝ち得る手段と考えます。もちろん現行でも、個々が何も言葉で実績を表現しなくても、口コミと言う言葉で十分にその役目は果たしているのです。
 最近知合いになった方で、是非これからもお付き合いさせていただきたい鍼灸師がいらっしゃいます。この方は一定の診断治療方式を持っていて、そして最後に皮内針という置き針をします。「何でそこに刺したんですか?」「うん、そこに刺してくれって体が言っているよ」ツボでもなんでもないところです。友人が治せないので患者を送ってくる。治療して治る。しばらくして友人が電話をしてくる。「どうなった?」「治ったよ」「そのようにして治療したの」「これこれこうして治療したと説明しても、友人は信用しない。何か隠しているんじゃないかと疑っているんだ。」この方の友人も同じところで学んだはずで、一定の治療レベルにはあると思います。さらにそれを越えていくのは、その人の個々人の持っておる力で治せるということになっているのです。その手前までをシステム化する、その先は努力方向を示して各人が研究する。これが鍼灸がこれからも生き残って行くために、必要不可欠なことと思います。
この「体が刺してくれって行っているよ」というのは、究極の診断治療法と考えます。しかしこれはそれこそ昔から達人、名人が行っている事と同じだと思います。そこまで到達できる人がまれであった。だから鍼灸が必ずしも信頼を得られていなかった。達人レベルがそこ此処にいれば、だれでも鍼灸に気軽にかかることになると思います。
トップレベルの鍼灸がやっていることは昔も今も、治すと言うことでは変わってない。トップレベルまで鍼灸師を育てるシステムがなくなってしまったと言えます。そういう意味では、トップレベルの鍼灸は進歩していない。でも究極の治療レベルと言えるのではないでしょうか。体が刺してほしい。そこに刺すことが「自然治癒力」を最大限引き出すことなのです。